LOFTER for ipad —— 让兴趣,更有趣

点击下载 关闭
元人工摇光们和两人的死神物语 ep05-ep06
富江 2020-06-02

尸魂界.学习 第五话  First Sento   

バタン、と無意識にドアを強めに閉めた雨涵ユイハンは、ようやく自分一人きりの空間がこの場所にできたことを実感し、大きく息を吐いてドアに寄りかかる形で座り込んだ。

 

雨涵は、他人との交流どころか他人と同じ空間にいることの経験すらないに等しいものだった。一人前になるまで、彼女はずっと家族の元で鍛錬を続けていた。彼女の世界は閉ざされていたが、それでも彼女は鍛錬の間にも家族から無尽蔵の愛を受けて育っていた。その点は、同業者たる他の家と最も異なるところと言える。だが、今となってはその家族すら…。

 

 

そこまで考えた雨涵は目を閉じて首を振った。霊術院に来たのは、自分を変えるため。もう過去のことなんて考えずに、前を向いて生きるためなのに。誰もいない家の部屋で一人蹲っている時と、今も同じになってしまっている。彼女が負った心の傷は、自分が思う以上に深かった。

 

そして…彼女が負う傷は、もう一つあった。

 

 

ドアに寄りかかっていた彼女は、少しばかりの静寂を経て部屋を見渡す余裕を持った。雨涵に与えられた院生寮の一室は、本来は三人用だ。右の壁には二段ベッド、左の壁には普通のベッドが備えつけられている。その他にあるのは三人分の文机と衣服や荷物をしまう数々の棚だけである。その中で、部屋の奥の文机に置かれているものが彼女の視界に入った。

 

立ち上がった彼女は、文机によって品物を確認する。これらの品物は、霊術院入学の際に予め部屋に届けておくように依頼した雨涵の家の荷物である。とは言っても、それほど量があるわけでもない。着替えや当面の生活費…そして、最も目立つのは布で厳重に包まれた細長く重い物体、『浅打』であった。

 

 

「…っ」

 

 

それを見た瞬間、雨涵の息が一瞬止まった。

なぜ、自分がこれを持ってきてしまったのか、自分でも分からなかった。もう二度と見たくないが故に布でぐるぐる巻きにしたというのに。浅打なら、霊術院入学にあたって貸与されるというのに。それを断ってまで、なぜあいつの血が染み込んだ刀を持ち込んでしまったのか。

 

雨涵は今まで、自分の身に降りかかった苦痛の過去を全て忘れたいと思っていた。全てなかったことにしたいと。自分はここで新しく生まれ変わった気持ちで、生きていきたいのだと。だが、それは上辺だけの願いだったのだろうか。無意識に連れてきてしまった忌まわしい過去。自分は過去を忘れるのではなく、受け止めなければ前に進めないのだろうか。

 

 

 

 

トントン

 

 

 

全くの不意打ちで鳴り響いた音に、雨涵は思わず飛び上がった。

音の発生源は、入り口のドア。誰かがノックしているのだ。

 

 

突然だったこともあり、一体誰が…と混乱した雨涵だが、ふと冷静になって考えてみれば、おそらく答えは一つであろう。

だが答えが分かっても、未だ慣れない他人への応対をしなければならないのは変わらない。でも、そんな自分こそ変えていかなければならないのもまた事実。数秒の躊躇の後、雨涵はよろよろとドアに向かって歩き出した。

 

控えめな二度目のノックから数秒後、雨涵はドアを開けた。

 

 

 

「…えっと、こ、こんにちは。ゴメンね、さっきぶりですぐに来ちゃって…」

 

「何の用だ? ユージオ」

 

 

雨涵はドアに歩み寄る前から口の中で準備していた言葉を、今日出会ったばかりの目の前の同級生_ユージオに伝えた。

だが実際、雨涵には何の用でユージオがこの部屋に訪れたのか見当がついていない。少しばかり困惑して瞳を揺らす雨涵は、ふと目の前のユージオが両手に携えている物体に視線が誘導された。

彼女が見つめる視線の先を察したユージオは、少しばかり照れ臭そうにこう言った。

 

 

「…これの着方、教えてくれないかな?」

 

 

 

 

 

 

「…ここは腰板っていう部分で……ヘラがついているだろう? それを前紐に差し込め」

 

「あ、なるほど…そういう為に…」

 

 

ユージオが雨涵から教えてもらっているのは、院生服の着付であった。

特にユージオが頓挫していたのは袴であり、現世では剣道袴と呼ばれる種類である。流魂街にいる間はお婆ちゃんからもらった簡単な着物しか着たことがなく、袴のちゃんとした身につけ方が分からなかったのである。無論前世でも…である。

雨涵の指南によって、長着の上から袴を正しく着用することに成功したユージオは、軽く背中側を確認しつつ一回転するとはにかむように軽く笑った。

 

 

「うん。いい感じ! ありがとう…えーと、ゆ、雨涵さん」

 

「…『さん』はいらない。一応、同級生だろう?」

 

「あ、うん…そうだね。じゃ、改めて…ありがとう。雨涵」

 

 

わざわざ改めてぺこりと礼するユージオをみて、雨涵はなんとなくむず痒い感じがした。

なんというか、素直さの権化みたいなクラスメイトだというのが、この少ない時間でユージオと会話した雨涵の率直な感想だった。人を騙して欺きつつ、仕事をするような家の出身であった雨涵にとっては、少しばかり眩しいくらいだ。

 

袴を無事に着用できてユージオも満足したかと思いきや、まだ少し聞きたいことがあるような顔をしていた。この感情が分かりやすい表情も、彼の素直さに由来するのだろう。そんな雨涵の推測通り、ユージオはまた控えめに口を開いた。

 

 

「あと、さ。もう少し、分からないことがあって…知ってたら、教えて欲しいんだけど」

 

「前置きはいらない。何が分からないんだ?」

 

「あ、うん。さっき伊勢副隊長からもらったこの紙なんだけどさ…」

 

 

ユージオが手にした紙の束は、雨涵にとっても見覚えがある。なぜなら、彼女も同じものをもらっていたからだ。券の表に書かれているのは『灯篭湯 無料入浴券』である。これについては、伊勢副隊長からちゃんと説明があったはずだ。今ユージオと雨涵がいるこの院生寮はかつての戦争より半壊しており、現在は倒壊しないように最低限の補強だけがなされている状態だ。二人はそのうち無事だった部屋の一部を割り当てられているにすぎない。その他寮の施設としては、一階の厠部分が辛うじて無事だった程度であり、上階部分は全壊。一階にあった食堂や大浴場なども実用に耐えない有様であった。

 

本来院生であれば無料で使用できる大浴場が使えない状況に対する代替案として渡されたのが、この無料券である。大浴場の代わりにこの銭湯に行けということなのだろう。瀞霊廷の比較的奥地で暮らしていた雨涵には聞きなれない銭湯だが、ちゃんとその場所を示した地図も配布されていた。伊勢副隊長の抜かりのなさが伺える。

 

聞く限り、疑問が湧くポイントなどないはずなのだが…ひょっとして目の前のクラスメイトはどこか聞き逃していたのだろうか?と考えていた雨涵は、自分の予想が遥か斜め上に外れてしまったことを知る。

 

 

「この紙にある…『灯篭湯』って、なんだろう?」

 

「…銭湯の店の名前だろ?」

 

「……セントウ?」

 

 

随分とぎこちない口調で雨涵の答えを繰り返したユージオは、眉をひそめて腕を組んで考える。

それからぴったり一分後、ユージオは頭を傾けながら呟いた。

 

 

「セントウ…って、何?」

 

 

 

 

 

 

自分にとっては当たり前の知識である言葉を説明するのは思ったより疲れるということを、雨涵は学んだ。流石に「風呂」という概念は知っていたようだが、「お金を払って、巨大な浴槽にみんなで入る」という概念は中々理解できなかった。どうやらユージオにとっては、風呂というものは各家庭の風呂桶を使うものらしい。わざわざ出かけてお金を使って、大きな風呂場に入らなくてもいいんじゃない?というのがユージオの感想だった。それを聞いた雨涵は明確に反論することはできなかったが、「でもどうせタダなんだし、第一行かないと風呂に入れないよ」と答えた。その後、自分が思わず素の口調に戻ってしまっていることを自覚し、慌てて口を噤んだ。ユージオは一瞬虚をつかれたような顔をしたが、すぐに「うん、そうだね」と頷いた。

 

 

「それじゃあさ、その…ちょうどいい時間になったら、一緒に『セントウ』へ行かない? 僕…瀞霊廷は初めてだから、地図があっても道に迷っちゃいそうで」

 

「…一応言っておくと、私もこの辺りに来るのは初めてだ。決して瀞霊廷全部に詳しい訳じゃない。…まあ、正直私も不安だから、一緒に行くのはやぶさかではない」

 

「ホント!? …ありがとう!」

 

 

心底嬉しそうな笑顔でまた頭を下げるユージオ。雨涵はまたむず痒くなる感じがした。どんな毒気も抜かれてしまうほど素直で飾り気のない同級生。表の世界で生きる自分と同じ年齢の子は、みんなこんな感じなのだろうか。困惑気味の雨涵をよそに、ユージオは少し笑顔を潜めて「そういえば」と呟いた。

 

 

「ね、雨涵ってさ。僕と同じように苗字がないのって…何か理由があるの? あ、その…もちろん、答えたくなければ別にいいんだけど…」

 

「苗字がない? いや、私は普通にあるが」

 

「…あれ?」

 

 

思わずキョトンとするユージオ。雨涵も思わず首を捻るところであったが、ちょっと冷静に考えたら気づいた。自分の名前は普通の世界においてはちょっと特殊なことを。

 

 

「私の名字は『涵ハン』 名前が『雨ユイ』だ」

 

「…あっ、なるほど! そういうこと…。 ご、ゴメン! 僕、勘違いしちゃって…」

 

「いや…気にしなくていい。私の家が…特殊なだけだ」

 

 

私の家、という言葉にユージオは再びキョトンとした。だが、雨涵の口を引き結んだ辛そうな顔をみてユージオは表情をほんの少し引き締めた。殆ど変わらないように見えた雨涵の表情が、「私の家」という言葉を境にきつく、辛い表情になったのだ。彼女がそんな表情をしてしまうような…辛い出来事が過去にあったのではないかと、ユージオは思った。それを思い出してしまった言葉が「私の家」。彼女の家に何があったかは知る由もないが…安易に触れない方がいいだろうと胸に刻んだ。

 

 

「……」

 

「……」

 

「………他に、用があるか?」

 

「あ、いや…えっと、それじゃ…『セントウ』は…」

 

「そうだな…。私は大体辰四つ時になったら準備をする。お前もそれくらいになったら準備をして、終わったらまた私の部屋を訪ねてくれ」

 

「え? たつ、よ……? ゴメン、よく分からないんだけど…」

 

「…午後8時30分頃…って言えば、分かるか?」

 

「あ、うん。それなら……」

 

 

尸魂界においては現代の日本に通じる時法と、古の日本に伝わる十二辰刻の、二つの時間の表し方が存在している。現世からの住人が多い流魂街は現代時法が主流であるのに対し、瀞霊廷はどちらの表し方も共存している。強いて言えば、貴族層は十二辰刻表現がやや優勢のようだ。この世界に来たユージオは現代時法こそ記憶喪失の割にはしっかりと知識として知っていたものの、日番谷のお婆ちゃんの家にお世話になっていた頃は、冬獅郎がお婆ちゃんにプレゼントしたという壁掛け時計を見たユージオは「あれは何?」とお婆ちゃんに質問したというなんとも不可思議なエピソードがある。それでいて、十二辰刻はまだ未勉強の領域であった。

 

 

「わかった…じゃあ……またね」

 

「ああ」

 

 

本当はもうちょっと同級生と話したかった。だけど…彼女の辛い過去に触れてしまったかもしれないという気持ちを抱えていたユージオは、静かに同級生へ手を振った後、扉を閉めた。一方の雨涵も、ユージオとほんの少しだけ似た感情を持っていた。不思議な同級生に対する微かな興味を。

 

 

 

 

 

*

*

*

*

*

*

 

 

 

 

 

 

部屋に戻ったユージオは、伊勢副隊長から新たに頂いた数冊の教科書──いくつかの走り書きが残された、他の院生のおさがりだが──を読みながらも、『セントウ』へ行く道すがら…同級生とどういう話をしようかと作戦を練っていた。だが、いざ約束の時間となって雨涵と共に出立した結果、その作戦立案は徒労に終わることとなる。なぜなら、雑談をする暇がないほど『セントウ』行きは困難を極めたからだ。

 

 

「えっと、あの! すいません! ここって何番地区ですか?」

 

「ん、ここ? ここは東二十七番区『伊根沢』だけど…」

 

「あ…あれ? いつの間に二十七に行っちゃった?」

 

「はあ…また通り過ぎたみたい、ね」

 

「え、じゃあひょっとしてさっきは右の方だったのかな? あ、すいません! ありがとうございました!」

 

 

『セントウ』までの道筋が書かれた地図は伊勢副隊長から渡されていたが、実のところその地図は半分ほどしか役に立っていなかった。決して地図が欠陥品というわけではない。それはしっかりとした正しい地図だった。普通ならば。今の瀞霊廷は廃墟と化している崩壊部分が多数を占めていた。本来なら目印となるであろう建物は崩れきっていたために見失い、工事中でとても通れないような場所を迂回すること数回。男女二人の院生は完全に迷子になっていた。戦争の影響で営業している銭湯そのものの数が少ないために、霊術院から遠い位置の銭湯が目的地だったことも遠因の一つと言える。そのため、道行く通行人や死神に聞きつつなんとか軌道修正を繰り返していた。もはやユージオも雨涵も人見知りなどしている場合ではなかった。

 

文字通り、物理的な紆余曲折を経ること40分後。額と体に汗を滲ませながら、ようやく二人の目の前に淡く光る『灯篭湯』の看板が現れた。

 

 

「ああ…やっと、やっと着いたよ…」

 

「…とっとと入るぞ」

 

「え、あちょっと待って! 僕もいく!」

 

 

焦りと運動で流れた汗でまみれた体を一刻も早く洗い流したいのか、膝をついて安堵しきっていたユージオを置いて、無情にも先に入ってしまう雨涵。慌ててユージオも後を追った。

 

 

ユージオにとって初めての「セントウ」となったわけだが、それもまた前途多難であった。「松竹錠」と呼ばれる玄関の下駄箱に備えつけられた木の板状の鍵も、見るのは初めてだったりする。瀞霊廷においては珍しいフロント式の銭湯なので、フロントで券を差し出すと、タオルやら石鹸やらのセットもお返しに差し出されて目を白黒したりした。ここまでは雨涵の軽い解説があったが、逆に言えばここまでだ。当然ながら、ここから先は男女分かれての入浴となる。

 

まずユージオが脱衣所という場所に入って驚愕したのは人の多さ。自分のような子供は全くと言っていいほどおらず、明らかに死神と思しき男性達でひしめき合っていた。セントウというのはこれほどまでの死神の人が使うものなのかと萎縮してしまうユージオだったが、この状況は普通ではない。普段よりも混んでいるだけだ。前述した通り、営業している銭湯が少ないために、邸宅を持たない下位席官の死神達が通える場所も限られてるが故だった。

 

必死で男達の体の隙間から、ロッカーの使い方や浴場に入ってからの動きを緻密に観察し、ぎこちない動きながらもトレースすることで、なんとか初めての『セントウ』はことなきを得た。ただ、ユージオの容姿は多少の注目を死神達から浴びてしまっていたものの、良くも悪くもユージオはそんな状況には慣れていたため、それほどストレスにはならなかった。前途多難であったセントウではあったが、湯船に浸かっている間だけは、心の底からリラックスすることができた。風呂桶ではなく、広々とした浴槽で体を伸ばして休めることは、想像以上に快楽的だった。だが、ユージオはなんとなく既視感...デジャヴを感じていた。すなわち、経験した記憶がないのに、経験した感じだけが残っている感覚。彼にとってそれはきっと、この世界に来る前の失われた記憶。前世の自分は、このような大きな浴槽に浸かったことがあるのだろうか? ユージオは微睡みの中でぼんやりとそう考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

脱衣所に置かれていたドライヤーの使い方を知らないが故に、まだ微妙に湿った髪のまま入り口まで戻るユージオ。すると、下駄箱の近くでは既に乾ききった体の雨涵が立って待っていた。

 

 

「あ…ゴメン、待った?」

 

「…別に、構わない。…次は弁当屋へ行くんだろ? どうせまた迷うだろうから、急いだ方がいい」

 

「う、うん、そうだね……あれ、雨涵も一緒にいくの?」

 

「…ああ。わざわざ別のところで夕飯探すのも面倒だから」

 

 

次の目的地、弁当屋についてだが…会話の中でもあったように、正確にはユージオのみが必要とする目的地だ。というのも、彼は基本的に一文無しなのだ。霊術院側からは入学金及び授業料免除、教科書やノート、銭湯などの無料券配布など精一杯の援助を行なっているが、流石に生徒の食費までは援助の範囲外であったのユージオはその問題をすっかり忘れていたわけだが、当の本人が全く知覚しないまま問題は解決してしまっていた。

 

伊勢副隊長から銭湯の無料入浴券をもらう際、ユージオだけはさらにもう一種類、追加の券の束をもらった。そこに書かれている文字は、『弁当屋ほともと 弁当一種+ドリンク無料券』であった。ユージオが目を瞬いていると、伊勢副隊長は、その券についても端的に説明を加えた。

 

 

「それはあなたの当面の食費として、日番谷隊長よりユージオさんへ個人的に送られた品です」

 

 

それを聞いた時、ユージオは券を胸元で強く抱え、遠くで業務をしているであろう日番谷隊長に心からの感謝を伝えた。おそらく届いていないであろうから、いつか必ずお礼をせねばとユージオは心に誓った。本当に何もかもお世話になっている以上、言葉だけのお礼以外もしたいとは考えている。未だ具体的な内容は思いつかないが。

ともかく、そんなわけでこれからの学院生活において毎日世話になるであろう弁当屋を探して、ユージオと雨涵は駆け足で彷徨い始める。

 

 

 

 

 

…弁当屋について以降、雨涵はもう一つユージオに解説しなくてはならない言葉があった。

『ドリンク』という言葉の意味を。

 

日本語の伝統的な言葉も知らない、西洋から派生したカタカナ語も分からないことがある。雨涵は呆れではなく、ユージオという同級生についての謎は深まるばかりだと心底不思議に思った。


尸魂界.学习 第六话    First Lesson

翌朝。

 

ユージオが昨日買っておいた朝食用の弁当を平らげ、昨日教えてもらった着付けで院生服を身に纏って部屋の外へ出ると、既に廊下には壁にもたれかかったもう一人の同級生…雨涵ユイハンの姿があった。

 

 

「あっ…また待たせちゃった…? ゴメン、遅くて」

 

「私が早かっただけだ。まだ授業開始までは時間がある」

 

 

素っ気なく呟く雨涵。銭湯の時といい、雨涵は自分より遥かに行動が早い。唯一自分が早かったのは初めてこの霊術院に来た時くらいだろうか。しかし、あの時も雛森副隊長の案内で早く着いただけだ。別に速さを競っている訳ではないにしろ、待たせてしまったという事実は少しばかり申し訳ない。軽くぺこりと頭を下げるユージオ。そして、授業開始までは時間があるとはいえ特に朝はすることもないということで、二人の院生は先んじて集合場所へ向かうことにした。

 

向かうと言っても、徒歩五分もかからない。なぜなら向かうのは最初に集まったあの場所、崩壊した霊術院前なのだから。昨日の伊勢副隊長の説明によれば、ここへ来る講師は毎日別の人なのだという。「オムニパス式の授業」と副隊長は言っていたけど、これまたユージオには初めて聞く言葉であった。そして霊術院は今講師不足であるため、派遣されるのは現役の死神ではあるが、正式な講師ではない。彼らもまた、初めての経験としてあなた達に勉強を教える身だから、あなた達も必要以上に緊張することはない。お互いに切磋琢磨する気持ちで授業に励むように、と二人は副隊長から告げられていた。

 

緊張するなとは言われても、右も左も分からない新天地における授業を控えていて、それは無理というもの。しかしユージオの心は、緊張というよりもワクワクの気持ちが若干上回っていた。どんな先生が来るのかも、どんな授業が行われるかも、そして…それを経て、自分がどれほど強くなれるかも、それら全てが緊張の要素であり、また楽しみであった。

 

 

立ったまま黙って待機する雨涵と対照的に、緊張と楽しみから落ち着かないユージオは、前日に充分読みふけったはずの教科書の類をまた読み返そうとした…その時である。

 

 

 

 

 

 

「ふはははははははははは!」

 

 

 

 

 

 

突如響いてきた高笑いに、ユージオのみならず雨涵はギョッとして顔を上げた。

 

 

「いや、感心感心! 我輩とて早めに到着したはずだが、まさか院生諸君に先を越されようとは! いやはや、我輩もまだまだ修行が足りぬようだな!」

 

 

一体どこからその声が、と辺りを見渡す二人のうち先にその姿を捉えたのは雨涵であった。視線が止まった雨涵の視線をユージオが辿ると、その先は倒壊しながらも辛うじて建物としての面影を保っている霊術院の建物…そこの一番上の部分。逆光で顔までは見えないが、確かにそこに死神がいた。

 

呆気にとられる二人の院生をよそに、「ぬゔっ!」という掛け声と共にその死神は建物から飛び降りた。そしてドシン、という音と共にしっかりと着地、ができればよかったのだろうが…多少体勢を崩して危うく倒れこみそうになる死神。が、なんとか姿勢を起こしてしっかりと大地を踏みしめることに成功した。

 

未だ呆気が抜けない二人と同じ大地に着地した死神の姿は、2mに迫ろうかという巨漢であり、片肌を脱いだ死覇装姿に三つ編みお下げの髪型が非常に特徴的であった。

 

 

 

 

「よくぞ来た! 2218期中途入学院生諸君! 我輩は八番隊第三席副官補佐!! 大剣豪 円乗寺辰房である!!」

 

 

 

 

 

(…濃い先生…だね)

 

(随分と濃い死神…だ)

 

 

 

彼を見たユージオと雨涵の心の中での第一印象は、一致した。

 

 

 

 

 

 

 

初めての先生から受けた第一印象は、プラスやマイナスのものというよりただ単純な驚きに支配されたものではあった。だからこそ「さて…」と円乗寺が切り出した時は、一体どのような授業が展開されるのかと、先ほどよりも緊張の度合いを増してきたユージオであったが、円乗寺辰房と名乗った目の前の先生が最初に行ったのは、授業開始の宣言ではなかった。

 

 

「まずは…院生諸君よ! 我輩は…この度、諸君が霊術院への入学を決断してくれたことに対して、多大なる感謝の意を示そう! 本当に、ありがとう!」

 

 

「え…先生っ!?」

 

 

突如として先生がお礼の言葉と共に頭を下げ始め、ユージオは思わず慌てる。隣の雨涵もまた、更なる驚きに目を見張っている。だが、円乗寺は頭を下げた姿勢のまま言葉を紡ぎ出す。

 

 

「諸君らも存知上げていることだろうが…半年前に発生した『霊王護神大戦』において、多くの同胞が斃れ、散っていった! 我輩なぞよりも遥かに強い方々も…山本総隊長、卯ノ花隊長、狛村隊長、浮竹隊長……多くの隊長達もまた、護廷の為に戦死なされた!」

 

 

円乗寺が語る『霊王護神大戦』の認識は、下位隊士達にも伝えられている一般の認識だ。だがその中の一部は真実とは違う情報によって隠蔽されている。例えば、卯ノ花隊長及び浮竹隊長の死因は、厳密に言えば戦死ではない。卯ノ花隊長は、自ら望んで同じ護廷十三隊のとある隊長の刃の元に斃れ、浮竹隊長は世界を救うための贄となるべく、その体と命を捧げた結果であった。狛村隊長も、二度と人前に姿を表すことこそ無いだろうが、未だその命を隠遁させている。だが、過程こそ違えど…全ての隊長達の生き様、戦い、そして死に様全てが護廷の名の下であったこと。それだけは確固たる事実であった。

 

 

「隊長達の死は、紛れもなく護廷のために死力を尽くした誇り高き死であった! だが…我輩達席官は、その隊長・副隊長達の強さに甘えておった! それゆえ、我輩は護廷どころか、同胞達すら守ることができなかった! がむしゃらに刃を振るえど、斃れゆく仲間を止めること叶わず! 挙げ句の果てに、我ら生き残りし席官の前に残ったのは、無残なる瀞霊廷の残骸と…同胞達の骸のみであった!」

 

 

もはやユージオも雨涵も、驚きなどという感情はとっくに過ぎ去っていた。頭を下げたまま、震えた声で語る円乗寺の慟哭の感情が、波となって伝わってくるようであった。良くも悪くも全力で感情表現を行う円成寺の癖が、彼らに影響を与えていく。

 

 

「院生が学び舎から次々と去ってゆく事態を、我輩はずっと止めたかった! だが…我輩にその権利などあろうか!瀞霊廷も護れず、同胞も護れなかった我輩に! 死神という存在に院生が失望するのも無理からぬこと…。だから…だからこそ! それでもなお死神という存在に失望せず、この真央霊術院の門を叩いてくれたことに、我輩は深い感謝を示すのである!」

 

 

よくぞここまで息が続くものだと感心するほどの勢いで語り続けた円乗寺辰房は、きっと顔を上げて姿勢を戻した。

 

 

「そして我輩は…いや、我輩のみならずこれから諸君に教える全ての死神達は、諸君に護る力を教えよう! 我輩達が無様にも成し得なかったことを…成して欲しいという、想いがあるからだ! ただ、諸君らが何を護りたいと願うかは我輩も分からん! 我輩達と同じく瀞霊廷を護るか…または、それ以外に護りたいものがあるのか…またもや、まだ護るべきものが定まっておらんかもしれん。しかし! 我輩達は、諸君らが何を護りたいと願おうとも、それを護れる為の力を持って欲しいと願うが故に! 護る為の力を教えるのである!」

 

 

「…護れる…ための力…」

 

 

ふんすっと言い放った円乗寺辰房の言葉を、ユージオは反復した。だが、当の円乗寺先生はその呟きを聞き取れず、代わりにそれが耳に入った雨涵は、ちらりと隣の同級生に視線を寄せるが、数秒で元へ戻した。

 

 

「残念ながら…我輩が諸君らに教えられる時間はそう多くない! だが、その数少ない時間においても、大剣豪たる我輩の剣捌きの一片でも諸君らに伝授できればと思う! というわけで、早速授業を開始する! 諸君、自ら院生服に背負っておる斬魄刀…『浅打』を抜いてみるがよい! ゆっくりで構わんからな!」

 

「っ! あ、はい!」

 

 

突然ビシリと指を突きつけられ、ワタワタとし始めるユージオ。円乗寺からしてみればちょっとカッコつけた動きだったのだろうが、ユージオからしてみれば焦りを誘発する結果となった。ゆっくりでいいと言われても、指を突きつけられちゃビビる。

 

それと…斬魄刀を抜くのは昨日、部屋で一人何回かやっていたが、今みたいに背負っている状態で抜くのは初体験であり…かつ、思いのほか難易度が高かった。背中の紐を動かして鞘を腰元へ移動することで、ようやくまともに抜くことができた。朝日を反射する刀の光に、少しだけドキリとするユージオ。部屋の窓から差し込む光からの反射とは比べ物にならない輝き。『刀』って、こんなに光るものなのかと、ちょっとだけ心が奪われかけてしまう。

 

 

 

 

 

ガチャン

 

 

 

突如、隣で響いた金属音にユージオの奪われかけた心は現実に引き戻された。音につられて、何の気なしに隣を見ると、雨涵が浅打を取り落とした所のようだ。

…だが、ユージオが特に目を見張ったのはそこではない。

 

雨涵の顔色が…尋常じゃないほど、蒼白になっていたからだ。

 

 

「だ、大丈夫…!?」

 

 

思わず自分の浅打を地面に放って駆け寄るユージオ。だが、雨涵はとてもそれに対応できそうな様子ではない。近くで見ると、荒い息遣い、額に滲み出る汗と震える手。ますます普通じゃない様子が見てとれる。それもそのはず、今 彼女の目はもはや現実を映してはいなかった。

雨涵の手が地面を這い…また浅打の柄に触れ、握りしめた瞬間、彼女の喉の奥から恐怖にも満ちた文字にならない声が漏れた。ただ刀の柄を握っただけなのに、それを通じて体に伝わるのは人の肉を貫く感触。それに付随して目に映る光景は、何度肉を貫こうと毅然と立って冷酷に見下す瞳。脳裏に響くのは、血を吐き叫ぶあの男の甲高く意味不明の叫び。

 

 

 

怖い

 

 

 

なぜ、何度刺してもあの男は倒れない…? なんで、私をそんな目で見るだけで…反撃しない?

 

 

 

こわい

 

 

 

なんで、あの男は笑っているの? 死ぬのが…怖くないの? 私に殺されるのが…怖くない、の?

 

 

 

コワイ

 

 

 

何を…言っているの? なんで、私を見ないの? どうして…私はあなたを殺すために…でも、あいつはどこか…何かを、見て、笑って…なんで、私が、殺した、のに、仇、なのに…どうして、笑うの?

 

 

 

怖い…

 

 

恐い……

 

 

怖い………

 

 

 

 

 

 

 

 

「もうよい」

 

 

今度は、雨涵が現実に引き戻される番であった。

現実の光景を取り戻した雨涵の瞳に映るのは、自らの手首を掴む大柄な手。彼女が顔を上げれば、神妙な顔で見下ろす円乗寺辰房がいた。

 

円乗寺はもう一度地に落ちた雨涵の浅打を拾い上げると、自らの手で彼女の背に戻した。言葉なくその手を視線で追う彼女に、円乗寺が言葉をかける。

 

 

「お主が持つその恐怖…今、無理をして乗り越えようとせんでもよい」

 

「この大剣豪 円乗寺辰房でさえ…半年前…多くの同胞を護りきれなかったあの恐怖を…乗り越えておらんのだからな」

 

 

恐怖。

それが、隣に蹲る同級生が抱えていた…傷、なのだろうか。

今の今まで何かを察することしかできなかったユージオだが、その正体の片鱗たるものが今こうして目の前に現れてきたように思えた。

 

恐怖。

それは、自分の心の中にも、あっただろうか。お婆ちゃんの死を目の当たりにしたあの時は…人の命を奪う光線に恐怖するよりも先に、大切な人を失った悲しみにうち震えていた。いや…あの時自分が抱えていた感情にも、命が失われるという恐怖が含まれていたかもしれない。だが雨涵には…まともに刀を持てなくなる何か…大きな恐怖が、過去にあったのだろう。それを尋ねる勇気はユージオにもなかったし、触れるべきでもないという考えは変わらない。それは円乗寺も同じだった。

 

 

「お主の過去に何があったか…詮索することはせん。我輩は四番隊の心理療法士ではないのでな。ただ、一つ教えておこう。死神になれば、何も必ず剣を握らなければならぬということではない」

 

「剣一本のみで三席の座まで上りつめた我輩のように、他の才をもって、死神を目指すこともまた然り。現に、我輩の上官は斬魄刀を持たずとも、鬼道の才をもって副隊長に任ぜられた強者である」

 

「お主が恐怖を乗り越え、再び剣をとって護る力を目指すのも自由。だが、その恐怖から逃げて別の護る力を得て死神を目指すのもまた一つの正しい道。どちらを進むにしても、自分で決めた道なら恥じることなく、誇りを持って進むがよい」

 

 

 

「…はい」

 

 

 

ぐす、と鼻をすすりつつ雨涵は立ち上がった。そして、軽く目を手でこすると「ありがとうございます…円乗寺先生」と静かながらも強い響きでお礼を言い、頭を下げた。円乗寺は一つ頷くと、今度はユージオに向き直った。

 

 

「少年よ。すまぬな…今日の授業内容を一部変更する。刀は、収めてくれまいか」

 

「はい」

 

 

ユージオは即答して頷いた。少しだけもたついたが…さっき抜くよりは比較的早く、背中の鞘に刀を戻した。それを見届けた円乗寺は再び二人を見渡せる位置へ移動し、堂々と告げた。

 

 

「我輩の剣技を授ける機会はまたの機会にしよう! 今回は…死神の基礎の基礎となる鍛え方を伝授しよう! 必ずや、諸君の役に立つであろう!」

 

 

 

 

 

こうして、初めての授業が始まった。

最初の授業の内容は…簡潔に言うならば、『霊圧自覚』と『霊圧集中』についてだった。

 

 

「霊圧を感じ取る感覚のことを『霊圧知覚』もしくは『霊覚』という! 相手の霊圧を感じ取ることは無論大事なことだが…それよりもまず諸君に取り組んでもらいたいのが、自分の霊圧を感じとることである!」

 

 

自分自身の体から発するもの…霊圧。心臓の鼓動に応じて体表のあらゆる部分から発せられる力。自分の体のこととはいえ、今まで全く意識もしていなかったことであるから、ユージオはなかなかその感覚を掴むことはできていないようだ。この『霊圧自覚』についての重要性は、きちんと円乗寺が教えてくれた。

 

 

「自分の霊圧を自覚することにより…その操作ができるようになるのが目的である! 操作することによって、自分の体中から発する霊圧を一点に強く集中させる…『霊圧集中』ができるようになるからである! この技術は、死神戦術である『斬』『拳』『走』『鬼』…いずれにおいても重要である!」

 

 

そう語る円乗寺は、霊圧集中における重要性を今度は言葉だけではなく実践で表してくれた。

 

 

 

最初に円乗寺が殴って見せてもヒビ一つ入らなかった瓦礫が、二回目のパンチで粉砕された。拳全体に霊圧を集中させることで、拳全体の強度を上げると同時に、衝撃が瓦礫に伝わりやすくなったのだと言う。

 

 

最初の頃にユージオができなかった破道の一『衝』を放って見せた円乗寺は、鬼道を放つ為には特定の場所へ霊圧を凝縮する過程、そしてそれを体外で形作る過程が必要だと語った。

 

 

円乗寺が披露してみせた『瞬歩』もまた、足裏への霊圧の集中を必要とするらしい。ただし、瞬歩はそれ以外に必要な要素が数多く存在するとのこと。移動距離、方向の微調整による霊圧配分や、突発的な移動に伴い必要な姿勢制御。ただ移動するだけでも微細な調節が必要なのに、戦闘に用いるとなれば更に数倍の思考と実力をもって運用することが必要となってくる。それ故に瞬歩の習得は死神になる上での必修という訳ではなく、現に未だ瞬歩を使えない死神も存在するという。だが、逆に言えば瞬歩を習得できるほどの実力があるならば、上位席官の座も容易に狙えるということである。

 

 

そして…斬術においても、それは重要なことである。刀を握ることで、刀の霊圧と持ち主の霊圧が一体化する。持ち主の霊圧を刃に集中させることで、限りなく切れ味と強度を増していくという。

 

 

自らの霊圧を知ることの重要性を学んだところで、実際に訓練が始まった。訓練とはいっても、日陰で座り込み自分の内面に意識を向け、集中するだけ。その「だけ」が彼ら二人にとっては容易なことではなかった。実に30分後、無念そうな表情で首を振るユージオ達に対し、円乗寺は豪快に笑った。

 

 

「そう落胆せんでもよい! 我輩が諸君らにこの鍛錬を教えたのは、何も今日で全てを習得してほしいからではない! これからの生活において、少しずつ鍛錬ができるものを教えたのである! ぜひ諸君には、普段生活する中でのちょっとした隙間時間にも、自分の霊圧を体感するために意識することを勧めよう!」

 

 

そう聞いて、ユージオは円乗寺の言う意図を理解した。特別な道具も動きも必要ない、ただ立って自分の内面に集中して霊圧を自覚するこの鍛錬は、確かにちょっとした隙間時間で可能だ。銭湯に入っている時でも、寝ている時でもできるだろう。最初の授業で出鼻を挫かれた気持ちだったユージオは、少しばかり気持ちを持ち直した。

と、ここで円乗寺辰房は授業の終了を告げた。思った以上に早すぎる授業終了に思わず目を見張ってしまうユージオだったが、円乗寺曰く戦争後の人事異動によって、八番隊における円乗寺の実質的な責任が大きくなっており、忙しい身なのだという。

 

 

「本日は諸君も消化不良かもしれぬが…明日からの授業は、より本格的な指導が始まることであろう。今日のところは初の体験授業とでも思ってくれればそれでよい! さあ、明日に備えて残りの時間はゆっくり休みつつ、有意義に過ごすとよいだろう! また我輩が授業を担当する時が来れば、その時は特別に我輩の奥義…『崩山剣舞』をご覧にいれよう! その時が来るまで、諸君らもしっかり鍛錬に励むがよい!」

 

 

「あ、はい! 本日はどうもありがとうございました!」

 

 

更に豪快な笑いをして去っていく円乗寺の背中に、90度近いお辞儀をして見送った。そして…円乗寺の背中が見えなくなった頃 ようやく顔を上げたユージオは、同じく隣で小さく頭を下げていた雨涵へ視線を向けた。

 

 

「…ね、雨涵。さっきは…その…」

 

「いつか、話したい」

 

「え?」

 

 

ポツリと零した雨涵は、隣のユージオに向き直った。

 

 

「さっき、円乗寺先生は言った。恐怖を乗り越えるのも自由だし、恐怖から逃げるのも正しい道だと。…だけど、私には逃げる道なんてない。乗り越えるために、私はここへ来た」

 

「…だけど、私一人では……抱えきるのは…乗り越えるのは、無理かもしれない。…もし、あなたが……私を友達だと思えた時……私が口に出せるほどの勇気ができた……そんな時が重なったら……」

 

 

つっかえながら、それでいて微かな勢いのある言葉を途中までいい続けたと思いきや、途中で急に言葉を飲み込み動揺したように視線を彷徨わせた。まるで、自分で発した言葉に、自分で驚いたかのように。

閉じた口の奥、喉から変な音を出してしまった雨涵は一瞬だけ顔に赤みがさしたが、すぐにユージオに背を向けて歩き出した。

 

 

 

 

もはや声が届くか分からない距離の中で、ユージオもまたポツリと呟いた。

 

 

 

 

「友達だと、思ってるよ。初めて会った時から」

 

 

 

 

 

 

 

 

その夜、二人は昨日と同じように、共に銭湯へ行き…弁当屋で弁当を買い、寮へ帰宅した。

昨日より、十分だけ往復時間が短くなった。

 

 

 

 

 

 

*

*

*

*

*

*

*

*

*

*

*

*

 

 

 

 

 

 

 

 

西流魂街49地区 紐里ひもさと

 

 

隣の地区の境界線沿いに住むとある中年男性の家に、本日に限り二人の子供が居候していた。

そのうち中性的な容姿をした浅黒の肌を持つ子供──産絹彦禰は、もう一人の子供…アリスのお陰で今日の休み所が見つかったと推測していた。なにせ休み所となりそうな家々へ訪問するたびに、家主がアリスの容姿を見て態度と表情を一変させるのを何度か見たのだ。さすがの彦禰も推測がつく。やっぱり、アリスって凄いなあと思う感情が九割、残り一割は…まだ自分でもよく分からない感情を持った彦禰はふと、何かに気づいてあたりをキョロキョロと見渡した。

 

 

「…アリス」

 

「うん。私も…なんとなく分かるようになってきたわ。…あっち、ね?」

 

 

彦禰が声をかけた先にいる金髪の少女…アリスは、鋭い目をして居候した家の壁の向こうを見つめていた。アリスの答えに頷いた彦禰は、自らの霊圧を極限まで抑えると…ゆっくり家の扉を開け、勢いよくばっと飛び出した。

それから数秒後…さっきアリスが見つめていた壁の向こうで、ドッカンバッタンという大音が聞こえてきた。

 

 

「な、何が起こって…!?」

 

「す、すいません…騒がしくして…」

 

 

家主に平謝りするアリスをヨソに、壁の向こうでは「わかったわかった! 俺が悪かった彦禰!」というもう一人の声が聞こえてくる。

それから約十秒後、再び家の扉が開いた。

 

 

「アリス! 檜佐木さんを捕まえました!」

 

「一人で歩ける! こら、降ろせ彦禰!」

 

「あ、すいません! 檜佐木さん!」

 

 

彦禰によって、よいしょと肩から降ろされた、彦禰より遥かに背の高い一人の男性…九番隊副隊長、檜佐木修兵は家の玄関に座り込み、非常に困った顔つきで頬をかいた。いや…正確には気恥ずかしさが入り混じった表情というべきか。そんな檜佐木の前に仁王立ちで立ち塞がったのは、腰に手を当てて口を引き結んだアリスだった。

 

 

「檜佐木さん、もう何回目ですか! 私達は大丈夫だって言ったのに、何回もこっそりついて来ちゃうんですから!」

 

「あのなあ! 俺はお前らを心配してるんだ! 怒られるいわれはねえぞ!」

 

 

ずいっ、と檜佐木が立ち上がることでアリスと視線の高さが逆転する。

 

 

「四十番台の地区に来て治安はマシになったとはいえ、まだまだ危ない奴はそこらにいるんだ。大体、俺のバイクでいけば何日も早く到着するってのに、64地区から徒歩で瀞霊廷に行くなんて無茶なんだぞ! 見守ってやんなきゃ危険だろ!」

 

「もう! そんな無茶も危険も全部承知の上だって何度も言ったじゃないですか! 私は死神として強くなる為に、まずは足腰を鍛えつつ瀞霊廷へ行きたいんです! 彦禰もついてきてくれてるんだから、大丈夫なんですって!副隊長と…瀞霊廷通信って仕事で忙しいはずの檜佐木さんはいらないんですってば!」

 

「ぐぬ…」

 

 

自分より高い目線からの三白眼に物怖じせず、毅然と反論してみせるアリスに、檜佐木は防戦気味になる。身の危険を理由に付き添いを主張する檜佐木だが、その理論は大抵「彦禰がいるから」で論破されてしまう。なにせ彦禰は素手でも充分すぎるくらい強い。流魂街のどんな暴漢も彦禰の前には歯が立たないだろう。つまり、アリスは安全。その上で檜佐木が忙しいのもまた事実ではある。本来ならこんな流魂街で子供二人を見守っている場合ではない…のだが。

 

 

「それでも! 自分の目で無事なのを見届けないと安心できないのが親心ってもんだ!」

 

「檜佐木さんって、僕達の親ではないですよね?」

 

「親も同然だ!初めて会った時からな!」

 

 

そう言われて、彦禰とアリスは思わず顔を見合わせる。親も同然、とまで思ってくれているとは…思わなかった。だが、二人はクスリと笑ってみせた。親と思ってくれている人がいることに…悪い気はしないのだ。アリスは少し腕を組んで考えた後、ポンっと手を打って檜佐木に向き合った。

 

 

「分かりました! なら、いいですよ! 見守ってくれても!」

 

「お、そ、そうか! ありがとうなアリス!」

 

 

許可をもらった檜佐木が、ぺこりと頭を下げる。…しかし数秒後、ふと頭を上げて首をかしげる。

 

 

──俺、なんで礼を言う側になってんだ? 確か俺は、アリスのためを思って見守るって話だったはずだが…?

 

 

だが、その頭のハテナマークが消えないうちにアリスが更にまくし立ててきた。

 

 

「でも、条件が…あります!」

 

「じ、条件…だと?」

 

 

アリスのためを思って見守るって話に加え、そのアリスから条件を言い渡されるという状況に、檜佐木の頭の上のハテナマークが倍になる。そんな檜佐木に対し、アリスはにっこりと笑って、頭を下げながらこう告げた。

 

 

「お願いです、檜佐木さん! 見守りに来てくれてる間だけでいいので…私に鬼道を教えてください!」


推荐文章
评论(0)
联系我们|招贤纳士|移动客户端|风格模板|官方博客|侵权投诉 Reporting Infringements|未成年人有害信息举报 0571-89852053|涉企举报专区
网易公司版权所有 ©1997-2024  浙公网安备 33010802010186号 浙ICP备16011220号-11 增值电信业务经营许可证:浙B2-20160599
网络文化经营许可证: 浙网文[2022]1208-054号 自营经营者信息 工业和信息化部备案管理系统网站 12318全国文化市场举报网站
网信算备330108093980202220015号 网信算备330108093980204230011号
分享到
转载我的主页